~ 君がくれたもの ~2
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ふと目が覚めて、まず最初に見慣れた天井と蛍光灯を認識した。ここは僕の部屋だ。子供ではない、高校生である今の僕の部屋。
随分と懐かしい夢を見ていたのだと気が付いた。小次郎と別れた時の夢だ。僕は目をぬぐった。寝ながら泣いていたのかと、少し驚いた。
だけど多分声には出ていなかったのだろう。なぜなら隣に眠る彼が健やかな寝顔を僕に見せてくれているから。そのことに僕は安堵した。
(どうして泣いていたんだろう)
自分でも分からなかった。だって夢から覚めても、幸福な気持ちはまだ僕の中に残っている。胸の中がぽかぽかと温かった。
誰かに必要とされているという実感、僕がいないと駄目なんだと言ってくれる人、その言葉。
そんなものが、あの頃の僕は欲しくて欲しくてたまらなかった。
それが叶ったのが、懐かしいあの公園の、二人で手を繋いだあの瞬間だ。
それでもやはり小次郎との別離は自分が思う以上に僕を傷つけていたのだろう。何年たっても泣くくらいには。そういうことなのだと思う。
僕は一人用の布団の中で窮屈そうに僕を抱え込む小次郎の顔を仰ぎ見た。寒くなってくると、彼はいつもこんな風に僕を抱きしめて眠る。「湯たんぽみたいであったかい」と小次郎は言ってくれるけれど、寧ろ温かいのは包まれている僕の方で、彼は肩が出てしまって寒そうだ。はみだしている部分に布団をかけてあげようとして身じろぐと、おそらくは無意識なのだろうけれど、更に強く抱き込まれた。
(すっかり男らしく育っちゃって・・・)
小次郎がガッチリとホールドしていたので、僕は動くことを諦めてその鍛えられた胸に頬を寄せた。パジャマ代わりのトレーナーの上からでも引き締まった筋肉を感じられる、素晴らしい身体だ。
それに加えて精悍な顔立ちと日に焼けた肌が彼をより魅力的で立派な雄に見せている。シャープな輪郭と意志の強そうな目は野性味を帯びていて、男なら誰もが憧れるに違いない。実際、僕も羨ましくて仕方がなかった。残念ながら、神様はそんな肉体を僕には与えてくれなかったけれど。
(昔は、ちょっと小次郎の方が大きいくらいだったのにね)
出会った頃は、ほんの少し小次郎の方が背が高いかな・・・という程度だった。それほどには僕らの体格差は無かった。けれども、今は頭半分ほど僕の方が低いし、肩幅も腕の太さも違う。
ただそれでも小次郎は変わらず、僕の可愛い嫁だった。
彼のスっと通った鼻筋を人差し指でそっと撫でる。それから形のいいツンとした唇も。少しカサついているから、後でリップクリームを塗ってあげようと思う。
そのまま唇に触れているとくすぐったいのか、小次郎が「・・・ン」とむずかって顔をそむける。その拍子に首筋があらわになって、先ほど僕がつけたばかりのキスマークが覗いた。
小次郎は情事の跡を残されるのを嫌がるけれど、その嫌がる素振りがまた可愛くてついつけてしまう。小次郎には「お前は意地が悪い」と言われるけれど、そんな僕を彼は好いているのだから仕方が無い。
結局僕らは小学6年生になってようやく、ライバルとしてもう一度出会うことができた。
小次郎は南葛SCの練習場にやってきて、これ以上ないくらいに劇的な演出で僕の前に舞い降りてきた。若林くんが「天使が降りてきた」と言ってよく小次郎をからかっていたけれど、まさにその通りだった。
だけど、よくよく見れば小次郎の雰囲気は随分昔と変わっていて、僕はそのことに驚いたし、何があったのかと胸を痛めた。
日向のおじさんが亡くなっただなんて、僕はちっとも知らなかった。その後に日向家が困窮して苦労していただなんてことも、全く。
あの幸福を絵に描いたような家族がそんなことになっているだなんて、夢にも思わなかった。
離れている間、僕は何度も小次郎のことを考えた。
想像の中で小次郎は、物質的にも恵まれて、家族にも愛されて、非の打ちどころのない幸せな少年時代を送っていた。
だけどそれは、現実とは程遠い妄想に過ぎなかった。
小次郎の元を離れたことを、この時ほど悔いたことは無い。
僕が新しい土地、新しい友人と上手くやっている間に、彼は深い悲しみを背負いながら、必死で家族を守っていたのだ。
「僕に出来ることがあったら、何でも言って」
まだ子供の僕に何が出来る訳じゃないけれど、言わずにはいられなかった。
だけど小次郎はかぶりを振って、僕の目をまっすぐに見て答えた。
「そりゃバイトもして学校も行って、時間が無いのは確かだけど・・・。でも俺は大丈夫だよ。ちゃんとサッカーも続けてる。それよりお前のほうはどうだったんだ?俺、ずっとお前のこと心配してた。ご飯はちゃんと食べてるか、家で一人にされたりしてないか・・・って。ずっと。今日、会えてよかった」
不覚にも、目が潤んで視界がぼやけた。
小次郎の本質は何も変わっていない。ありがたいことに、父親を失うという大きな不幸でさえも、彼の生来の気質を歪めることはなかった。
他人の痛みを知ってなお逃げださずに寄り添ってくれる。
小次郎は僕の大好きな、優しくて情に厚い、人を愛することも愛されることも知っている強い少年のままだった。
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